難敵フレッド・ハーシュの真髄:「とりとめが無い」ピアノの奥底に潜む、極限の美しさと「明るくて切ない」ジャズの深淵
Fred Hersch フレッド・ハーシュ Sunday Night at the Vanguard

フレッド・ハーシュ。
これまで、どちらかというと敬遠してきたピアニストの一人である。
というより名前を聞くと気にはなるので、彼の作品にはよくアクセスするのだが、個人的には捉えどころがなくよく分からないのが正直な感想である。
彼の演奏を聴いて思い浮かぶ形容は、「とりとめが無い」「淡々としている」「いつも同じ感じ」「抑揚に欠ける」「押しが弱い」といった否定的なイメージが先行してしまう。
一方で、「なんだか鼻歌を歌っているようで心地よい」とか、「時折、煌めくような美しさがある」といったような断片的な印象もたまに涌き起こる。
長い間ジャズを聴いてきて、直感的に演奏の好き嫌い、良し悪しが分かると勝手に自負している自分としては、フレット・ハーシュだけは、なんとも評価しにくい難敵なのである。
ただ、このライブ盤の冒頭曲「A Cockeyed Optimist」というスタンダードを聴いた時、珍しく感情移入して心が震えたのである。
熱烈なファンが多いフレッド・ハーシュに傾倒しきれない自分は、何が気に入らないのであろうか、何が分かり得ていないのであろうか、何を聴き逃しているのだろうか、といった視点で、対話形式で少し考察してみたい。
三昧博士との対話による考察
敬遠の理由と、ブラッド・メルドーらへ継承された「声部の独立性」
Zawinul Asa: ハーシュのピアノは、私にとって「とりとめが無い」「押しが弱い」という印象が強かった。しかし、ブラッド・メルドーが彼から影響を受けた「声部の独立性」とは具体的に何なんだろうか?メルドーの語り口は感情移入しやすく、ジャジーな香りが強いのに、ハーシュとはどう違うのか気になっている。
三昧博士: 「声部の独立性」とは、右手と左手の主従関係を解き、和声の枠組みを保ちながら複数の旋律を同時に歌わせる(ポリフォニー)という高度な技術です。ハーシュの独立性は水彩画のようにシームレスで美しさを極めていますが、メルドーはそこに強靭なオスティナートやポリリズムを持ち込み、パーカッシヴな推進力やパンチ力を与えました。ハーシュは、後進のピアニストたちがそれぞれのルーツを開花させるための「多声的なピアノのパレット」という革新的な土台を作ったパイオニアなのです。
ロリンズからの影響と、死生観がもたらしたスタイルの変容
Zawinul Asa: なるほど。初期の彼はバド・パウエル以降のモダンジャズの系譜をしっかり継いでいた印象がある。また、彼はソニー・ロリンズが大好きで、ホーンライクな語り口を持っている点も興味深い。いつから現在のような鮮明な個性が現れたのだろうか?
三昧博士: ご指摘の通り、彼はかつて、オーソドックスでスイングする名手であり、ロリンズのような息遣いを感じさせるホーンライクな歌い回しをルーツに持っています。現在の耽美的で内省的なスタイルへの大きな転換点は、自身のHIV感染の公表と闘病です。死の影と向き合う中で、バップ的な語法やテクニックのひけらかしから離れ、「残された時間で絶対的な美しさを残す」という純粋な祈りへと音楽がシフトしていきました。ジャズ特有の泥臭さが削ぎ落とされたのは、そうした壮絶な背景があるのです。
「明るくて切ない」——感情移入とキース・ジャレットとの符合
Zawinul Asa: ライブ盤の1曲目「A Cockeyed Optimist」で心が震えたのは、イントロの跳ねるようなピアニスティックな美しさと、テーマの朴訥とした響きだ。その後のソロの口上もジャズフィーリングに溢れており、淡々とした多弁さの中に、とてつもない悲しみを感じた。キース・ジャレットの『The Out-Of-Towners』冒頭曲を聴いた時と同じ、明るいスタンダードだからこそ際立つ「明るくて切ない」感興があった。
三昧博士: 「楽天家」というタイトルのこの曲を、死の淵を彷徨ったハーシュが弾く時、それは単なる明るい曲ではなく「残酷な世界で希望を持とうとする人間の切なさ」を伴って響きます。バップの定型を離れ、人生の機微を音のグラデーションで表現するその領域に、キース・ジャレットの名演と同じエッセンスをZawinulさんが直感的に感じ取られたのは、ピアニストとしての素晴らしいシンクロニシティだと思います。
おわりに
「難敵」と敬遠していたフレッド・ハーシュの音楽は、ジャズの伝統的なパンチ力や泥臭さとは異なるベクトルで極められた、究極の「声部の独立性」と「純粋な祈り」の結晶でした。ホーンライクな息遣いと対位法がシームレスに溶け合い、壮絶な人生経験を経て辿り着いたその透明な響きは、時に強烈な「明るくて切ない」感情を聴く者の心に突き刺します。私たちがジャズに求めるスイングやグルーヴの定義は、彼のピアノの前に立つとき、まだ見ぬ深淵へと広がっていくのかもしれません。皆さんは彼の奏でる淡々とした美しさの奥に、どのような情熱の揺らぎを感じ取るでしょうか。
アルバム情報
- パーソネル:
- フレッド・ハーシュ (Fred Hersch) – Piano
- ジョン・エベール (John Hébert) – Bass
- エリック・マクファーソン (Eric McPherson) – Drums
- 録音年: 2016年3月27日(ヴィレッジ・ヴァンガードにてライブ録音)
- レーベル: Palmetto Records
- 収録曲:
- A Cockeyed Optimist
- Serpentine
- The Optimum Thing
- Calligram
- Black Nile
- Solo Space / Past Autumn
- Everybody’s Song But My Own
- Pineapple Rag
- We See
- My Lawyer, Mr. Mendoza
