形式の解体と新たな桃源郷——マリア・シュナイダーが描く現代ラージ・アンサンブルの地平

Maria Schneider マリア・シュナイダー The Thompson Fields

 
新幹線に乗って、8月2日の大阪公演に出かけてきた。初めて、生のマリア・シュナイダー・オーケストラ!
私も気合を入れて臨んだコンサートは、その熱演に会場も大きく湧いた。当日の演奏の内容などについての感想や詳細は省略するが、千席の森ノ宮ピロティホールがほぼ満席。マリアには失礼かもしれないが、「よくこんなに集まったなぁ」というのが正直な感想。やはりこれだけのメンバーが大阪に一堂に会し、ジャズだけでなく、吹奏楽やクラシック畑の人など、ある意味、学究的なサウンドの実物の正体を知りたいと思うマニアな人たちが集ったコンサートだったのだろうか?

さて、私にとってマリア・シュナイダーの存在は、このグラミー賞も受賞した『The Thompson Fields』(2015年)に尽きる、というかこのアルバム以外はあまり知らない。最初に聴いた時、コンボジャズのサウンドに慣れ親しんだ耳に、ラージアンサンブルのサウンドがあまりにも新鮮で、そのノスタルジックな物語風の流れや、自由で挑戦的なサウンドや設えは、私をどこか遠くの桃源郷に運んでくれる様な気分にしてくれたことを今も鮮明に思い出す。以来、このアルバムを通じてラージ・アンサンブルの魅力に取り憑かれることになる。今回は、マリア・シュナイダーの魅力を、私なりにできるだけ、わかりやすくお伝えしたいと思う。

ジャズの「形式」を打ち破るパラダイムシフト

1980年代以降のビッグバンドの系譜を辿ると、そこにはある種のパラダイムシフトが起きていたことに気づく。デューク・エリントンやカウント・ベイシーが築き上げた伝統的なスウィングから、より複雑で現代クラシック的なアプローチへの移行だ。その中心にいたのが、マリアの恩師でもあるボブ・ブルックマイヤーである。ジャズの即興演奏は、基本的にはテーマのコード進行の反復、つまり「同じ曲」の上で行われる。しかし、ブルックマイヤーはそれを解体し、ソロイストが即興を始める際、全く違うコード進行や対位法的なバックグラウンドを新たに用意するという「通作形式」を持ち込んだのだ。マリア本人が「私が学んだクラシックの世界では楽曲のフォーム(形式)がとても広範的だけど、ジャズの世界の曲の多くはテーマとバリエーションで演奏される。ボブ・ブルックマイヤーのアプローチはそれを大きく打ち破る、クラシック音楽的な形式だった。私は『わお、何をやってもいいんだ。ソロイストたちは”違う曲”で演奏できるんだ』と思った」と語っている。決められたコードのループから解放されることで、アレンジャーが用意した新しいキャンバスの上でソロイストは自由に飛翔できる。これこそが、彼女が受け継いだ最大の革新と言えるのではなかろうか。

コンボの自由度を18人のオーケストラで実現する

テーマの構成やコード進行に縛られない即興のあり方は、ウェイン・ショーターやジミー・ジュフ、アンドリュー・ヒルといったコンボの巨人たちも挑んできた道である。特にマイルス・デイヴィス第2期クインテットの『Nefertiti』のように、テーマと即興の役割を完全に逆転させるようなアプローチは、ジャズの表現の自由を極限まで押し広げた。マリア・シュナイダーが成し遂げたのは、そうした「コンボが持つスリリングで予期せぬ即興の自由」を、一糸乱れぬアンサンブルが求められる巨大なオーケストラの中に破綻なく組み込んだことにある。「ビッグバンドという言葉は時に誤解を招きます。私が率いているのは、18人のソリストによる大きな室内楽オーケストラなのです」という彼女の言葉通り、そこにあるのは大音量でスウィングする管楽器の塊ではなく、個々のソリストが自発的に呼吸し、互いのモチーフに反応し合う、極めて室内楽的な空間であるという気がする。

理知的な構築美とブルージーな息遣いの交差

そして、この名盤『The Thompson Fields』である。マリアは「私にとって音楽を書くことは、言葉にならない感情や特定の場所の風景、記憶を音で可視化する作業です。『The Thompson Fields』は、私が育ったミネソタの土の匂いや開けた空、そしてそこで生きた人々へのオマージュです」と語っている。アコーディオンやブラジリアン・ギターを配し、ドビュッシーやラヴェルを思わせる印象派的な色彩感で描かれたノスタルジックな風景。それは極めて理知的で緻密に計算されたオーケストレーションでありながら、そこから飛び出してくるソリストたちのプレイには、どうしようもなくジャズ特有のファンキーさやブルージーな息遣いが滲み出ているのだ。この「軽やかさ(=飛翔)と確かさ(=重さ)」が見事に併存する絶妙なバランスこそが、本作を孤高の作品たらしめ、私の耳を捉えて離さない理由なのだろう。

おわりに

大阪公演の客席を埋め尽くしていたのは、単なるジャズ・ファンだけでなく、彼女の理知的なスコアの秘密を探ろうとする吹奏楽関係者や、印象派的な響きに惹かれた現代音楽・クラシックのファンなど、実に多様な人々だったのだと確信している。コンボの自由とオーケストラの構築美をかつてない次元で融合させたマリア・シュナイダーの音楽は、ジャンルの壁を越えて現代の音楽家たちに「次なる地平」を示し続けている。彼女が提示したこの美しい桃源郷の先に、ジャズ・アンサンブルは今後どのような進化を遂げていくのだろうか。

アルバム情報

  • 録音年: 2014年(リリース:2015年)
  • レーベル: ArtistShare
  • パーソネル:
    • マリア・シュナイダー (Composer, Conductor)
    • スティーヴ・ウィルソン (as, ss, fl)
    • デイヴ・ピエトロ (as, cl, fl, piccolo)
    • リッチ・ペリー (ts)
    • ドニー・マッカスリン (ts, fl)
    • スコット・ロビンソン (bs, fl, cl)
    • トニー・カドレック (tp, flh)
    • グレッグ・ギズバート (tp, flh)
    • オーギ・ハース (tp, flh)
    • マイク・ロドリゲス (tp, flh)
    • キース・オキン (tb)
    • ライアン・ケバリー (tb)
    • マーシャル・ギルクス (tb)
    • ジョージ・フリン (btb)
    • ゲイリー・ヴァーサイ (accordion)
    • ラーゲ・ルンド (g)
    • フランク・キンブロウ (p)
    • ジェイ・アンダーソン (b)
    • クラレンス・ペン (ds)
  • 収録曲:
    1. Walking By Flashlight
    2. The Monarch And The Milkweed
    3. Arbiters Of Evolution
    4. The Thompson Fields
    5. Home
    6. Nimbus
    7. A Potter’s Song
    8. Lembrança

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